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20.河村瑞賢と安治川開削  
大石(残念石)で造られた紀功碑
都市再開発の元祖永遠に受け継がれる恩恵

 元禄期までの大阪は、お城の北側で淀川本流が付け替え前の大和川古流 と合流して市中を貫流していたので、「水の都」でありながら幾度も水の災厄に悩まされていた。
 幕府はその解決策を求めて天和三年(1683)に若年寄稲葉正休の配下に河村瑞賢をすえて山城、河内両国の水路を巡見させ、治水工事を行うように命じた。翌貞享元年二月、瑞賢は大阪の人たちの協力を得て、九条島を直進する水路を開削し、伝法の方に曲流していた淀川末流を海に直流させ、以後,市中の人工河川の浚渫改修を積極的に行った.
安治川沿岸に建つ往時の紀功碑
 その結果、大阪は都市としての機能が大幅に拡大し各所に新しい市街地(新地)が開発されて「天下の台所」と形容される経済力豊かなマチに更に飛躍した。河村瑞賢が長く大阪の恩人として親しまれている由縁である。
 紀功碑は大正四年に国津橋東詰めの安治川沿いに建てられたものであり、碑文は当時の大阪朝日新聞の西村時彦編集長が格調高い美文の漢字で誌したもの。 
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