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17.モダーン・シティ当時の建物  
瀬戸物町の南海晒粉ビル(現存)
永遠を求めた入魂の建築群災害と戦火に耐えて七十年

 大阪は大正十四年四月一日、周辺の四十四町村を合併して大幅に市域を拡張して、いわゆる「大大阪」となり、モダーン・シティを謳い上げた。あらゆる面で新しい都市の風格が求められ、それを実現させた。
 建築の分野においても、内外の建築家たちが都市の華といわれる商業・オフィスビルの設計・施工を担当した。そのいくつかが未だそのままの外観で当区にはかなりの数で残っている。
横浜火災海上ビルと京町堀ビル
 医療施設としての菅沢眼科・宇川病院・石川外科、オフィスビルとして岩出建設(三菱銀行九条支店)ビル右近商事ビル(現大阪市計量検査所)・長瀬産業ビル・船町ビル・そして写真に見られるビルなど、公共施設としての市電気局(交通局)ビルや旧電気科学館があり、激烈な戦災下にあってよくも無傷で耐えたものとの感慨を強くする。煉瓦やタイルの外壁をもつ建物が多いのもこれらの業者が西区に本拠をおいていたからに他ならない。
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