@なみはや大橋(港区へ)
有料道路橋で15年の歳月をかけて平成7年完成し、開通しました。尻無川河口部の鶴町と港区に架かる橋で港区への連絡橋として利用されています。橋の形は、流麓な弧を描いて眺めもよく、高さ47メートルの橋の上からの日の出と、特に夕日の眺めは絶景です。一度見に来てください。
橋名の「なみはや」は、昔の淀川の流れと、大阪湾の潮の流れがぶつかりあって、波が非常に早く見えたことから生まれた言葉より引用されました。
A新木津川大橋
(住之江区へ)
平成6年に完成開通しました木津川河口部の船町と住之江区に架かる橋です。中央支間は305mあり、「アーチ橋」として日本最大となり、その優美な姿は、此花大橋、港大橋、天保山大橋などとともに大阪湾のシンボル橋の一つになっています。
B大浪橋(浪速区へ)
大正区と浪速区に架かる橋で、昭和12年に完成しました。両区を結ぶ橋としてその頭文字から「大浪橋」と名付けられました。なお大浪橋下流には今なお渡船を利用する市民は多く、「落合上の渡し」、「落合下の渡し」、「千本松渡し」、「木津川渡し」の4つの渡しがあり、市民に愛されており、他都市からも乗船のために利用される方が多く、市民の足として観光のシンボルとして活躍しています。
C岩崎橋(西区へ)
岩崎運河が大正9年に開削されたのにともない架けられた橋です。当時、市電九条高津線が走る橋で、市内で初めての鉄筋コンクリート橋として造られました。昭和40年と49年に拡幅工事が行われ、現在の長さ75.6m、有効幅員19.2mとなりました。コンクリート橋としましては、このあと道頓堀の戎橋が続いて完成しました。 |
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D千歳橋
千歳橋は平成15年4月に完成しました。大正内港の鶴町と北恩加島に架かる橋で、この橋の完成により、大正区内の環状道路が形成して地域交通を円滑化するとともに、大正通りの交通混雑を緩和し、緊急時には、広域避難場所への避難路としての役割も担っています。主橋梁部はアーチ橋とトラス橋が融合する2径間連続の「ブレースドリブアーチ橋」です。橋長は365m、車道幅員7〜8.8m、歩道幅員3mです。
鮮やかなブルーを基調とした橋は近隣の赤の港大橋、ライトブルーのなみはや大橋と並んで景観にも配慮したもので、区内の新しいランドマークとなっています。
E大正橋(浪速区へ)
大阪の「島」とも言われていました大正区を、都心につなぐ唯一のメインルートとして大正4年に、市電の開通に合わせて架けられました。長さ90.6m、幅22.1mで、通航の船をさまたげないよう橋脚を持たない「アーチ橋」で、増田工学博士が設計した名橋であります。橋はその後、たび重なる台風や地盤沈下で痛めつけられ、交通混雑破和のため広い橋に架け替えることになりました。昭和44年に、まず下流側に一橋が架けられ、古い橋を取り去った後に昭和49年に、二橋目を架け、二橋合わせて新大正橋が完成しました。長さ79.9m、有効幅員41mの橋です。 |
F尻無川橋(港区へ)
G木津川大橋(浪速区へ)
両橋とも国道大阪神戸線(43号線)の建設に合わせて、昭和45年に架橋されました。尻無川橋は、港区と結ぶ橋で長さ600m、有効幅員35.5mの橋です。木津川大橋は、浪速区と結ぶ橋で長さ767m、有効幅員34.5mの橋です。
H大運橋
最初は千歳運河に、市電鶴町線の橋として大正9年に架けられたが、木橋で老朽化したため昭和33年に、架け替えられ、取り付け坂路はかさ上げが行われました。長さ57.7m、有効幅員18mの橋です。
I大船橋
木津川運河に船町との連絡橋として、昭和11年、可動橋が架けられました。戦後は木津川運河を航行する大型船がなくなり、昭和53年普通橋に架け替えられました。長さ76.1m、有効幅員15.5mの橋です。
J西福橋
K南福橋
両橋とも福町掘りに架かる橋で、大阪第一次修築付帯工事で木橋として架けられましたが、昭和38年に架け替えられました。西福橋は長さ51.2m、有効幅員5.8mの橋で、南福橋は長さ36.6m、有効幅員8mの橋です。
L岩松橋
市電松島南恩加島線の建設にともない、大正11年に岩崎運河に架けられた橋でしたが、老朽化のため、大阪ドームを中心とする岩崎橋地区の開発にあわせて、架け替え拡幅されました。橋長約70m、幅員35mの橋です。
M千本松大橋(西成区へ)
千本松大橋は木津川をまたぐ橋で、南恩加島と西成区結ぶ長さ323.5m有効幅員9.7mの大阪で初めての「らせん橋」です。橋の中央部の高さは36mで、水面からマストまでの高さが34m以下の船なら楽に通航できます。
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