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48.マンモスアパート
新築当時の周辺風景
 西区の文化ゾーンに位置する名門アパート

 昭和三十二年、旧日本住宅公団(現住宅都市整備公団)が建設した西長堀アパートは俗にマンモスアパートとよばれて大阪市民の耳目をひいた。
  このアパートの敷地は、もともと公有の住宅用地であったため、ミナミの繁華街に近いという立地条件にもかかわらず、順調に工事が進められた。東京の晴海アパートと対をなす都心部高層賃貸住宅の最初の試みであった。
 
  地上十一階地下一階の建物だが、戸数二六三戸という規模は単身者用五〇戸が含まれていたとはいえ、マンモスの名に値するものであった。上層階からは二上山をはじめ金剛・葛城の山なみが眺望できた。また、貸店舗や貸倉庫が一階と地階を占め、今なお機能している。
 当時の大学卒の初任給は一万二〜三千円であったが、一万九三五〇円の最高家賃の住戸に人気が殺到し、四七五〇円の家賃の単身者用住戸とともに申し込み倍率の双璧をなした。
  当初の入居者には著名人も多く、作家の司馬遼太郎、作詞家の石浜恒夫、下着デザイナーの故鴨居羊子が話題をよんだ。
  しかし、建設の時期がまだ旧来の和式住宅の生活様式が定着している中であったため、高層住宅に必要な諸設備の開発がおよばず、その後、システム化されていく暖房給湯やテレビ共同視聴配線もなく、激動の時代の最先端をきった施設としての運命を背負った。
  それにも拘わらず、四十年近い風雪を耐えぬいて市街地型高層住宅のモデルとして存在している意義は大きい。それは、建物の構造をあくまでも実用に即し、かつ堅牢に施工したからに外ならない。
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