37.肥後橋の商店街 |
日本火災ビルによる新生 ビジネス街 、それも第−級の四つ橋筋のすぐ西側の通りに面するこの日用品商店街は、 現在の市中では最も地価の高い地域の−つに店舗を構えている。商店街西側の経営者の大半が自分の地所で商い、日本火災隣接の東側の商店と−体となって見事に活性化されたのは、平成二年のことである。 このあたりは非戦災地域で 「水の都」時代の大阪の風情が色濃く残されていて、誰いうとなく江戸堀三角地帯の俗称が冠せられていた。 それほど戦争以前の建物が残存していて、大阪の都心では一味ちがう雰囲気を漂わせた町を持続させていた。 付近に旧くからの居住者が多いこともあり、戦後復興期の中核地域であったため、自然に地域の日常生活に欠かせない市場が必要となつたが、この一角に生活物質を扱う商店が集まったのは付近の江戸堀市場やここ玉水商店街の店主たちの努力の賜物であった。 昭和六十二年に始まる日本火災大阪支店の建替えは、単に、−企業のビルの高層化ではなく、近隣地域を総合的に再開発するものとなり、これらの小売り商店の新生を求めるものとなった。 それは大正十一年に大林組により建てられた日本火災ビルを、隣接地主から有償提供された土地と合わせて高層化し、西側の町筋に在来の風情を残すことによって肥後橋商店街として再生することであった。 |
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