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27.日生病院と大阪の医療
新築移転した現在の日生病院
 社会奉仕活動としての診療大都会ゆえのセツルメント

 大阪は往時より入口の密集した都会であった。そのため、人々は相互扶助の精神に富んでいて弱者にたいする施策に早くからキメ細かい配慮がなされていた。公営の産院、公設市場や職業紹介所が全国にさきがけて開設されるなど西区内にその先駆けの地を見出すことは注目に値する。

海員診療から発足した掖済会病院
 わけても日本生命保険会社は、済生事業を早くから重視し、昭和六年六月に開設された日生病院は諸方洪奄の子孫が経営していた立売堀の緒方病院を譲り受けて改築のうえ開設したものだが、母体の日本生命済生会は当時から地方への巡回診療や社会的に恵まれない人たちへの診察、相談に積極的に携わっていた。
 同じような目的で設立されたのが掖済会病院であるが、区内には他に外科の大野病院、多根総合病院そして救急医療センターなど知名度の高い医療機関が充実している。昔時、長堀北岸に著名医院がならんでいた伝統を受け継いだものと言えよう。
26.名門予備校の所在 ← 27 → 28.初代中村雁治郎



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