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26.名門予備校の所在
土佐堀通りに
装い新たなYMCA
 YMCA、そして駿台 料理・旅行・観光の専修校

 当区には早くから公教育以外の学習機関が数多く存在した。現在もYMCAでは国際専門学校が商業実務や文化教養を求める人たちに門戸を開いているし、南堀江の駿台予備校とともに予備校を開設して受験学生をハイレベルの問題に取り組ませている。
 その伝統は非常に旧い時代にまで遡らせることができる。また、江戸時代には当区に数多くの書画の大家が群居して家塾を開いていたことはよく知られている。
 明治期になると、当区では川口外国人居留地の影響が強く反映されて、外国語や商業活動に欠かせない簿記・法律の知識を取得しようとする傾向が顕著になり、洋学塾が数多く出現する。
南堀江の
駿台予備校
 法律学塾をはじめ諸官立学校に入るたるの予備校などが西船場周辺に創設されるのは明治十年代後半で、このころから当区の専門教育に対する取り組みはすこぶるめざましく、入学者も師範学校や士官学校への志を持って勉学に臨んでいた。また、一方では外国語習得に熱心で各所に英語学習のための学塾が多数開設された。医学の分野にも眼が開かれていたので、特にドイツ語を教える医学私塾の開設が早かった(明治19年吉益学舎)し、平行して産婆の学術技術の向上進歩を図っての「産婆学校」まで創設された。
 時代が進むに従って、区内には大阪割烹学校が出現したし、現在、日生病院では看護学校を併設されている。そして、旅行添乗員資格取得のための観光学校やホテルマン養成のホテル学校など数え上げるだけでも多分野の学習機関がひしめいている。
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