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25.家具の町・立花通
家具問屋が連なる問屋街立花通
 遅れてきた、商人の町 都市調度の華の家具屋街

 元禄十一年(1698)、下難波領の田地に堀江川が開削され、同時に市街地が開かれた。
 見事な都市計画であったが、商人にとって新しい土地で一から商売を始めるのは冒険でもあった。そのため、堀江の歴史は遊所と勧進相撲から始まることになる。さいわい、世は秦平の時代で、その後はしだいに庶民にも家具の需要が高まり、たんす・長持・諸道具仏具・仏壇・建具を扱う家具商が登場するようになった。
大正期の家具問屋店先の風景
 この町の旧家の仏壇商であった蒲田利郎はその著「南北堀江誌」で「南堀江上通は、幕末より道具屋筋と称へられ、東区の丼池(注・戦時統制時まで家具商業集団の町であった)と対立し、家具商店軒を連ね、(昭和3年の)現時、益々盛況を添えているが、家具が重要物産として認められたのは、大正年間の事」と、述べている。
 近代にはいると、家族制度の象徴のように仏壇や嫁入り道具が必需品となり、需要が拡大した。昭和四十年代からの生活様式の変化は、再び家具の新しい時代を生み出すものと言える。   
 
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