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23.初代大阪府庁舎跡
府庁跡前庭に立つ顕彰碑
 半世紀にわたる府政の中心地

 明治七年七月、現在の府立高等工業技術研究所のところに二階建て煉瓦造りのルネッサンス様式の洋風建築物が英人技師ウオートルスの設計で竣工した。これが昭和二十年三月の大阪大空襲まで、風格のある威容を木津川の川面に映していた初代大阪府庁舎(大正十五年移転、昭和四年から工業奨励館として転用)である。
 創設当時、大阪の町びとは、「江之子島の政府」と呼びならわし、庁舎には看板も揚げずに金色の菊花の紋章を拠りどころとした。
 総工費は当時の金額で五万円余りに達したが、うち三万円ほどは民間からの寄付金でまかなった。
都心に背を向けて西向きに建てられたのは、大阪の発展は大阪湾に向かって進行するという理念を当時の人たちがもっていたからだと伝えられている。
初代大阪府庁舎の威容
 江戸時代からこの地の対岸には天満天神社の御旅所があり、天神祭り舟渡御では大いに賑わったが、明治初頭、御旅所が松島町に移った後は、この府庁舎前が舟渡御列の上陸地となり、ここから松島の御旅所まで再び陸渡御の行列となった。
 また、大阪市が市政を布いた明治二十二年から同三十一年九月三十日までの約十年、市制特例のため市の行政事務は、この庁舎内で執られていた。
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