30.せともの祭り |
江戸時代から昭和初期まで連綿と続いた賑わいは、昨今の「せともの祭り」からは想像もできないが、西横堀川沿いに筋違橋から四つ橋までの千五百メートルを人と陶器で埋め尽くした雑踏は夏の風物詩として昔から有名であった。 「せともの町」が町名として現れるのは延宝八年(1680)からだが、すでにその頃、陶器の著名な商舗・商人がこの地で商いを拡張していた。肥前佐賀藩の焼物である伊万里焼を御国産(おくにづくり)として大坂蔵屋敷に送られてきたのを商人たちが扱ったと伝えられている。 |
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