13.市電第一号走る |
明治三十六年(1903)九月十二日に現在の九条新道東端にあたる「花園橋西詰」から「築港桟橋」まで大阪市が初めて市営の電車を走らせた。全国の公営交通事業の嚆矢(最初)として特筆される出来事と言える。この二つの停留所の間には市岡中学校前・田中町・八幡屋堤防の停留所が設けられ単線運行を行った。 大阪市内で真っ先にここで都市交通機関が産声を上げたのは、近代大阪港の完成と連動させるためでもあるが、九条の町から先は一面の田畑や灌漑池が広がる農地で鉄道交通道路を敷設することが容易であったという理由が大きい。 |
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西区内では、明治四十一年に九条中通-松島-長堀線(東西線)と四ツ橋線(南北線)が開通し、翌年さらに築港線が川口町まで延長されて当時の市中交通は完全に当区がリードする形になった。 市営電車事業の経営による収益で都市整備を進めようとする二代目鶴原市長の考えを商業活動の活発であった西区民が支えて成功に導いた一例と言うべきであろう。 |
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